畑鉱山(新潟県)
新潟県にある、畑鉱山跡を見に来た。
何故名前に「新潟県」と付くかと言うと、「畑鉱山」って名前、全国にあるんですよね(汗
戦国時代から江戸時代にかけて「沼金山」ってのが有ったんだけど、
それを引き継いでの鉱山と推測している。

旧米沢街道の途中に位置するこの鉱山、
探検は街道から始まる。

峠まで1里ですと!
まだまだ、先は長いようですね!
って事で、ワープ♪
(ちなみに途中の道は、車両進入注意の難所です)

ランドマークでもある、貯鉱場に到着!(笑

貯鉱場前に建つ、鉱山の説明看板!
良く読めませんが、最盛期には300人が働いていたそうな。
分教場も有ったそうだが、痕跡は皆無…
本校も廃校になって久しいので、資料は乏しい。

コンクリートはすでに、ボロボロの状態。

取敢えず?上がって見る。。。(汗
当然の如く、何も無い…

場所を居住区跡に移す。
何やら、コンクリートの基礎を発見!

所々に、石垣跡も見る事が出来る。

瀬戸物のかけら。

そして、お決まりの一升瓶♪(笑

削岩機の調整に使ったのか、練習したのか?
穴だらけの石垣を発見!

そして待望の穴を発見!!
早速、進入開始♪

期待に反して、奥が短い…
ま、見つけた場所が場所だからね(汗

こんな感じで、「棚」のようになっていた。
何?何??
先に進めないよ~!

下には、石が積まれている。
ズリでは無く、明らかに外部より持ち込まれ、積まれた石。

そして「棚」は、無残にも崩れ落ちた…
奥にも、石が積まれた形状になっていた。
室とも考えにくいし…
まさかの「荼毘」用か!?
な訳無いか!(笑
排煙口も無いし!

住人にあいさつをして、外界に出る。

次は、峠方面を探索してみましょうか!

途中、明らかな人工物を発見!
花壇!?池!?
長年の地形変化によって、元の形が分からない…
先をしばらく進むが、特に何も無い!
道も崩落して無くなる!!
このまま山形県に行くのも嫌なので、引き返す(笑

精錬場跡方面に来た。
大量のカラミが有る。
カラミマニア垂涎の地区♪
が、精錬場の痕跡は発見出来なかった。

何やら、大きなコンクリートを発見!
幅3m奥行き5m程だろうか。

崩れているが、蓋状になっている。
もしかして、竪坑を塞いだ跡か!?

隙間から中へ入り込む。

矢板を基礎に、30cm程の厚みのコンクリートで造られている。
内部は崩落しているが、明らかに「穴」を掘った跡だ。

骨材に、トロッコ軌道が使われている。
コンクリートの厚さからして、かなり大きな「穴」が開いていたのだろう。

選鉱場跡に来てみた。
立派な石垣基礎が残る。

受電設備の跡。

コンベア基礎の跡。

下から見ると、こんな感じ。
木組み基礎の跡が確認出来る。

選鉱場脇のズリ山。

選鉱場基礎跡。
一部、木柱の跡が確認出来る。

小さなシックナー跡。

シックナー下部の、鉱宰排出口。
枕木が残っている。

そして、何かの白骨も!
よもや、P様の食事場ではないでしょうね!?
明日は我が身か!?

水晶を含んだ鉱石が、あちらこちらに落ちていた。

鉱宰池跡から見た、選鉱場全景。
この下には、立派な道路跡が有ったのだが、
緑の浸食が激しい&崩落で、自然に還ろうとしていた。
鉱山道路の跡だろう。

墓地跡に来てみた。
立派な墓石が1基。
昭和6年と記されている。
発見出来た墓石で、一番新しいものだ。

ほとんどの墓石は、自然に還っていた。

「寛政」と読み取れる墓石。
1789年から1801年までが「寛政」だそうだ。

大正期の墓石。
「越后北蒲原郡川東村大字板山生」と記されている。
現在の「新潟県新発田(しばた)市大字板山」で生まれた方のお墓。
この頃の墓石には、出生地や死因が記されている物がある。
他にもちゃんとした坑道が有るみたいなので、また探検に行かなくては!!
ちなみに、場所を知っている方って居ますか!?
何故名前に「新潟県」と付くかと言うと、「畑鉱山」って名前、全国にあるんですよね(汗
戦国時代から江戸時代にかけて「沼金山」ってのが有ったんだけど、
それを引き継いでの鉱山と推測している。

旧米沢街道の途中に位置するこの鉱山、
探検は街道から始まる。

峠まで1里ですと!
まだまだ、先は長いようですね!
って事で、ワープ♪
(ちなみに途中の道は、車両進入注意の難所です)

ランドマークでもある、貯鉱場に到着!(笑

貯鉱場前に建つ、鉱山の説明看板!
良く読めませんが、最盛期には300人が働いていたそうな。
分教場も有ったそうだが、痕跡は皆無…
本校も廃校になって久しいので、資料は乏しい。

コンクリートはすでに、ボロボロの状態。

取敢えず?上がって見る。。。(汗
当然の如く、何も無い…

場所を居住区跡に移す。
何やら、コンクリートの基礎を発見!

所々に、石垣跡も見る事が出来る。

瀬戸物のかけら。

そして、お決まりの一升瓶♪(笑

削岩機の調整に使ったのか、練習したのか?
穴だらけの石垣を発見!

そして待望の穴を発見!!
早速、進入開始♪

期待に反して、奥が短い…
ま、見つけた場所が場所だからね(汗

こんな感じで、「棚」のようになっていた。
何?何??
先に進めないよ~!

下には、石が積まれている。
ズリでは無く、明らかに外部より持ち込まれ、積まれた石。

そして「棚」は、無残にも崩れ落ちた…
奥にも、石が積まれた形状になっていた。
室とも考えにくいし…
まさかの「荼毘」用か!?
な訳無いか!(笑
排煙口も無いし!

住人にあいさつをして、外界に出る。

次は、峠方面を探索してみましょうか!

途中、明らかな人工物を発見!
花壇!?池!?
長年の地形変化によって、元の形が分からない…
先をしばらく進むが、特に何も無い!
道も崩落して無くなる!!
このまま山形県に行くのも嫌なので、引き返す(笑

精錬場跡方面に来た。
大量のカラミが有る。
カラミマニア垂涎の地区♪
が、精錬場の痕跡は発見出来なかった。

何やら、大きなコンクリートを発見!
幅3m奥行き5m程だろうか。

崩れているが、蓋状になっている。
もしかして、竪坑を塞いだ跡か!?

隙間から中へ入り込む。

矢板を基礎に、30cm程の厚みのコンクリートで造られている。
内部は崩落しているが、明らかに「穴」を掘った跡だ。

骨材に、トロッコ軌道が使われている。
コンクリートの厚さからして、かなり大きな「穴」が開いていたのだろう。

選鉱場跡に来てみた。
立派な石垣基礎が残る。

受電設備の跡。

コンベア基礎の跡。

下から見ると、こんな感じ。
木組み基礎の跡が確認出来る。

選鉱場脇のズリ山。

選鉱場基礎跡。
一部、木柱の跡が確認出来る。

小さなシックナー跡。

シックナー下部の、鉱宰排出口。
枕木が残っている。

そして、何かの白骨も!
よもや、P様の食事場ではないでしょうね!?
明日は我が身か!?

水晶を含んだ鉱石が、あちらこちらに落ちていた。

鉱宰池跡から見た、選鉱場全景。
この下には、立派な道路跡が有ったのだが、
緑の浸食が激しい&崩落で、自然に還ろうとしていた。
鉱山道路の跡だろう。

墓地跡に来てみた。
立派な墓石が1基。
昭和6年と記されている。
発見出来た墓石で、一番新しいものだ。

ほとんどの墓石は、自然に還っていた。

「寛政」と読み取れる墓石。
1789年から1801年までが「寛政」だそうだ。

大正期の墓石。
「越后北蒲原郡川東村大字板山生」と記されている。
現在の「新潟県新発田(しばた)市大字板山」で生まれた方のお墓。
この頃の墓石には、出生地や死因が記されている物がある。
他にもちゃんとした坑道が有るみたいなので、また探検に行かなくては!!
ちなみに、場所を知っている方って居ますか!?
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